社会的主体について(上)

 ――問題の所在を明らかにするために――

                                                斉藤 明

はじめに

@ 先稿「解放派におけるマルクス主義の深化再生の道は何か」において、ヘーゲルの主体について、スピノザ的実体批判としての主体であること、従って、実体=主体という理解ではなく、実体としてではなく主体としてという意味に於いてヘーゲルの主体はつかまれるべきであることを述べた。

 ヘーゲル批判としてのマルクス主義を理解するうえで、繰り返すが、上記の点は極めて重要である。

マルクスの新たな主体は、社会的主体として一貫して展開されてきた。たしかに、初期には、類的人間、類的諸個人を軸に論じている傾向はある。しかし、社会的主体であることについては、展開が不十分であっても、すでに言及されているのであり、また、そのことにかんする深化の過程でもあると捉えるべきである。

戦後のマルクス主義の反スターリン主義の流れは、それまでのソ連流の「生産の社会的性格と取得の私的性格の矛盾」として資本主義の根本矛盾をとらえることからくる客観主義に対して、人間の活動、人間の主体性を強調する傾向を持った。この問題視角は、次のように生産と社会、生産と社会的主体との関係から解決されるべきものであった。 マルクスは、「生産を問題とするばあいには、いつでも一定の社会的発展段階での生産――社会的な諸個人の生産を問題とするのである。」「生産はまたただの特殊的な生産であるだけではではない。むしろ、もろもろの生産部門を合わせた大なり弱小なりの一つの総体のかたちで活動しているのは、つねに、ある一つの社会体であり、一つの社会的主体である。」(「要綱 T生産」と述べている。「生産と所有の矛盾」とか、客観主義的な把握において資本主義の根本矛盾を説く場合の根本的欠陥は、上記の点を見落としているからである。

しかし、日本の左翼において、上記のことを把握できないまま、マルクス主義の名のもとに個人の個人としての主意主義的な「主体性」に問題を縮小してしまった。一部には、唯物論的装いを持たせるために、「創造的物質」という「実体」とその「延長」という構造で、主観的に自分達のみが普遍性をつかみ、その使いであると、宗教的に思い上がることを主体性だと語る傾向があった。

この特徴は、目的意識性を、歴史的必然性とかけ離れたところでの理想としてしまい、理念化された目的にたいする勝手な目的主義的にしてしまって、自己をその手段とするという転倒に陥っていることである。客観主義批判がエゴイズム的小ブル主体性の強調となって、人間が自己意識の単なる器と理解され、挙句の果てには特定の自己意識が歴史を動かすと勘違いするようになり、かつ、反対に、己の自己意識で全世界を動かすことを夢見ることになる。その極が陰謀論である。

また他方、実存主義的な主体性のまま、歴史に参画するのだという小ブル主体性は、運動の階級的質をそれほど問題としないで、指導部主義と先駆性論で突き進み、大衆闘争の高揚から敗北の過程で、一部は毛沢東主義となり、一部は主観主義的革命主義となり、武装闘争路線へと傾斜した。しかし、大衆と分離した武装闘争は孤立し困難過程に向かう中で、思想的にはエゴイスティックな偏狭性の傾向を強め、繰り返し破綻に向うのであるが、その根本原因に気がつかない。自己と社会のつながりが、労働者の団結した闘いと結びついたかたちで実践的・自覚的でないところの、実存主義的歴史参加ということは普遍性の名のもとにエゴイズムを展開するという構造に陥る傾向をもった。

前者は革マルであり、後者はブンドであり、その中間は黒田コンプレックスの中核である。

革命期の初期には、階級形成の遅れを取り戻し、かつ階級支配のもとにおける階級形成の段階から階級支配の転覆へ向けた階級形成へと質的転換を成し遂げてゆくという戦略的課題があること、このことを見失って、疎外された前衛のまま、「前衛」の数がいまだ足らないから駄目だとか、いや少数でも情勢を切り開くために武装決起するべきだとかというぶれに陥ったのである。

Aわれわれの内部においても、このことに成功したわけではない、たしかに、われわれは出発以来、これまでの既成の戦略論に欠けているものは階級形成論であり、階級形成論をふまえた組織論が問題であると提起しつづけてきた。しかし残念ながら、この課題において失敗したと言わざるを得ない。70年代初期、「革命的階級形成を!」ということを内部の標語とした。しかし、わが組織の一部に、わかりやすく言えば、労働組合主義と小ブル急進主義に、労働者派と革命プロパー派の傾向が生まれた。前者は、労働者大衆の、主体の遅れを問題として慎重派となり足踏みし、後者は、それの見切りをつけて、決意した集団による武装闘争により局面を切り開くと言いつつ、しかし、それを宣伝として勢力拡大を図るという真剣みのない小ブル急進主義者の主体形成主義になりながら、自他共に欺きながら目的主義的とその実践という傾向をもつようになる。労働者の団結は、発展する普遍性としての本質を持つのであるが、これからから切り離された思想は、目的のために手段を選ばないという腐敗に陥る。彼らも例に漏れず、スパイ問題の利用、差別問題の利用、粛清と、本来、共産主義運動の中にこそ復活させられるべき人間的道義性をひたすら下ずり落として腐敗を極めた。

われわれは、このような傾向を正しつつ組織を統一するために努力したのであるが、組織は分裂した。

この内外の反省を深める中心課題こそ、一点、社会的主体の根本的把握に凝縮される。問題の焦点は、このような客観主義や裏返しの抽象的個人の自我主義的主体性にあるのではなく、社会的主体において、歴史的必然性を捉えることである。

 

一 問題の所在 (その1) 疎外された前衛の今日

@主体把握についての分岐点は、認識論及び階級形成論に直接の影響をもたらす事柄であることを繰り返し述べてきた。

 階級形成論の多くは、誤って階級意識形成論になったり、または錯認、誤認識を正し、正しい認識をもつこととされ、再び外部注入論(階級意識の外部からの持込必要論)とされてしまうことが繰り返されている。たとえば、昨今、「内ゲバ」への反省ということで、良心的な民主的な前衛党という問題意識や、ローザルクセンブルグのついての再評価が行われているようであるが、組織論が前提とする戦略論、および、われわれの理論構造で言えば、戦略論と組織論を媒介的に統一するところの階級形成論が踏まえられないかぎり、組織論をそれとして切り離してどのように改作してみても空疎な言葉の羅列にしかならない。せいぜい「自己絶対化してはならない」とか、「唯一の前衛党」ではないとか、という毒にも薬にもならない説教を数行並べるだけである。問題は、考案された社会改造計画理論の担い手としての疎外された前衛という構造そのものが否定されるべきであり、社会的主体としての労働者階級の新たな主体としての社会的結合の上に成長する認識と実践によって前進する理論作業が必要なのだということに気づかなければならない。なぜ、自分達が行きづまってしまったのか理解できないで、混迷しているのであるが、字面だけ「労働者階級に解放は労働者自身の事業である」ということを唱えるだけでは組織論と戦略論がばらばらに分解してしまうという結果だけが眼前に横たわることになってしまっている。

A他方、中核派は、「プロレタリアートの普遍的特殊性」なる規定をめぐり、一方では、普遍性を強調して、これに共産主義者の規定をダブらせながら、個別・特殊に全体性として立ち向かう側と、この空疎な普遍主義に対し、諸特殊の普遍化の過程がないと、具体的特殊を強調する側とに分裂しているように見える。しかし、両者ともに、プロレタリアートの解放が、なぜ人間の普遍的解放に繋がるのかという根本問題を欠落している。したがって、プロレタリアートの解放ということと、「自己を共産主義者として高める」ということとの関連が不明となる。そして、とどのつまりは共産主義者の普遍性においてという空文句が空しく響くことになる。空疎な普遍性は、必ずそれを振り回す官僚の政治的直観(これがいつも間違うことになるのだが)と、世俗的実例とを必要とする。お互いに官僚となりつつ、背後の実例をぶつけ合う。運動の前進も組織の前進もこの構造の元に停滞することになる。

B革マルは、黒田の死後、黒田の教祖性を強めている。黒田によって作り出された、「創造的物質」(これはスピノザの実体にレーニンの哲学ノートの物質をまぶしてヘーゲルの目的を鼻先にくっつけた代物なのであるが。そして、レーニン的物資などという誤った唯物論を根拠としている点において出発から駄目なのであるが。物質である脳髄が宗教理論も哲学も生み出すのであり、脳が物質だから唯物論などというのは幼稚な誤りなのだが。)の最先端などとおだてられて舞上がった連中の、すなわち、自己の本来の主体性を抹消してしまって背骨に宗教的主体性を打ち込まれた抜け殻でしかない自己達の保持策は、黒田の教祖化にしか道はないという過程になったのである。革マルにとって、労働者は、単なる契機、ばねにしかすぎないものであったし、今もそうである。捨て去られた契機となった労働者性のかわりに、自己意識を高めたという宗教的主体が作り出される。共産主義者、革命的マルクス主義者という看板の中味は、神についての言葉のいい変えにすぎないところの「創造的物資」の信徒である。したがって、彼らが「サンデイカリズム反対」と叫ぶとき、それは、かれらからすれば単なる加工素材としてしかない労働者が、自分達を否定して革命的主体として立ち現れることに対する恐怖と蔑視の叫びとなる。自我主義者=エゴイストが僭称し、かつ、即時的存在とさげすみ、かつ、イデオロギー的組織的に支配する対象としての労働者が、自分達の理論を媒介せずに、否その否定において革命的主体として立ち上がることはあってはならないとされる。

 必然性によって導かれた人間の社会的協同、社会の発展程度によって規定され、また改善されるところの社会的意識に基づいて営まれる協同の発展には歴史が伴う。

 ところが、革マルの黒田においてはこれを単に科学的認識による共同的実践における個と全体の統一などという空論を本質論(「場所の哲学のために 下」 226頁)として現実の歴史に当てはめるという考え方から、単に、自覚せる個々人への意識改造が問題である、すなわち、すべての人類を自覚させる啓蒙か折伏が問題となる。そうでないとすれば、唯一科学的認識を握っていると称する集団による多数者に対する強制、支配、他の意見の抹殺が、本質論というお題目の元に強行されねばならなくなる。ここでは、歴史推進の主体は自覚せる覚醒者達という教徒集団のみである。その他は、作用されるべき対象となる。すなわち、握り締めた観念的普遍性の元への現実の人間達の服従である。人間を自己意識の単なる入れ物としか見ない考え方、したがって、その自己意識の入れ替えが問題となる。黒田が述べる本質論なるものの実態は、神戸少年殺人事件における黒田の謀略論の主張に他がひれ伏して個と全の統一がおこなわれた、という奇妙な世界として垣間見ることができるのである。

これに対して、マルクスは「肉体性をもった人格」として人間を捉える。個性をもち感性をもち肉体性を持った現実的個人の自由な人格、この自立と協同の発展(相互媒介的)が、前提として確認されなければならないという肝心のことが欠落しているからである。肉体性と精神性をもったものとしての労働者の本源的主体性を認めるか否か、ここに根本的な差ができる。 科学技術の人間的解放ということを媒介しないで、すなわち、科学技術が資本と合体し、資本の力として労働者に向って立ち現れるということの否定、科学技術の労働者階級への奪還ということを媒介しない科学技術論は、再び、科学技術が労働者階級に対する指揮命令権の内容となって現れるであろうと言うことである。(この点については、また詳しく述べることとする。)

 革マルの学生自治会、労働組合等の大衆組織に対する支配は、基本的にはこのような論理の上にある。

 革マルは実践を「普遍的目的の特殊諸条件の元における個別的実践」と規定する。すなわち、自分達が考案した物にすぎない「普遍的目的」は不動のものであり、この生み出される現実的前提のない空疎な普遍が、地上に当てはめられることになる。黒田の目的論は、目的が前提とされ、次に手段に移行する。実はこの目的が、いかなる主体が作り出す目的なのかということが欠落している。神秘的実体が目的をもっていることにされる。これはカントの物自体が善の目的をもち、人間がそれに従うことが普遍性への道であるとするのに似ている。目的主義とはその目的がいかなる主体の現実的目的なのかということを、主体と分離し、目的を独立化させ、かつ、その目的は己がその主体の真の目的と確定したと簒奪し、その中に己のエゴイスティックな利害を隠しこみ、主体の外から持ち込まれて掲げられた物に、本来の主体を従属させるという転倒を意味する。そして、自他ともにこの目的の手段となれとする転倒が起こるのである。転倒の結果は敵対性となることである。この目的は下からは決して変えられない、変えられてはならないという性格にある。(したがって、この神聖な目的を握り締めている組織は、上からのみ作用し、変えるのであって、下から変えられてはならないとしている。)措定された普遍性が決して否定されることのない非弁証法的方法にささえられて、したがって内容的には再生産構造をもちえないので、枯渇してゆくしかない運命にある革マルの現在ではあるが、運動の中では通用しなくなった黒田的主体性に変わる何かをつかまないかぎり進めなくなって、黒田と決別して、自己批判して再出発するという革マルからの分離グループも、根本的に自己批判しているとは思えない。革マルに対する批判は、単に謀略論や右翼労働運動路線だけにあるのではない。その宗派性をもった組織性こそが根本問題である。大衆組織は自主的に自由に振舞うことができるということが前提として認めらねばならない。オルグ活動という名のイデオロギー的支配、強制、折伏により組織的に支配するような行為は、誰も支持はしない。かっての早稲田大学の大衆の革マルに対する闘いは、人間の尊厳と自由を守る名誉ある闘いという側面を持っていた。労働組合に対する革マル的支配に対する労働者大衆の反攻はやむことなく続くであろう。 

C 労働者の自立と自主的に振舞う闘争と討論をとおして発展する団結、このどこまでも発展的な団結こそマルクス主義の社会的主体としてつかみなおされなくてはならない。理論活動は、この団結の理論を推進するものでなければならない。この推進力としての共産主義的理論活動があるのであって、労働者の団結の外にあるのではない。

 労働者の社会的主体性、これこそがすべての小ブル左翼が見失っている当のものであり、かつ、恐れて敵対する当のものである。われわれは繰り返して述べているがサンデイカリズムを否定しない。問題は政治支配能力の獲得に至る道にこそあるのであって、労働者の自己権力は階級的に、したがって政治的に発展しなければならない。だからこそ、労働者階級の党へとせり上げる階級形成が課題となるのである。サンディカリズムは超えられるべきであって、否定されるべきではない。サンディカリズムは、全体的なもの、普遍的なものは必然的に疎外されたものとなる、という考えと結びついて、その否定を、その拒否を唱える。労働者階級の階級形成という視点を欠落するならば、普遍的なものを自らのものとして生み出すことを展望することができない。団結した階級が、自らの政党を生み出しつつ階級として行動するという道を進まないかぎり、単なる疎外された党に対する否認、拒否だけである。スターリン主義的、社民的党を超えて進む労働者党へと、踏み込まねばならないのである。このような方向においてこそ、サンディカリズムは越えることができる。

労働組合大衆組織はどこまでいっても「改良的民主的」であって、革命や社会主義を目標としてはならない、などという考えがある。革マルである。階級闘争は、階級支配の下における階級闘争と階級支配の打倒のための階級闘争の二段階に分かれる。後者においては、政治支配能力の獲得が問題となる。労働組合という大衆組織の中に、委員会または評議会を公式に形成し、決定と執行を統一した実践的行動部隊として構成することにおいて、産別・地区を貫いて政治行動することが可能である。革命は理論家が指導するべきもの、大衆の中からは革命は出てきてはならないとする諸理論と結びついたサンジカリズム反対の合奏を打ち砕かねばならない。「労働者階級の解放は労働階級自身の事業である。」と言うことを認めるということは、実はそういうことなのだということを掘り下げねばならないのである。

革マルから逃げ出したグループも、この点からその内容が点検されるべきこと、教義を別にした宗派主義は新しい装いの下における古いものの再生産でしかないこと、したがって、その内容が、どこまで自己批判されているのかということが問われる。階級形成論抜きには、たとえ、自らを「サンデカリスト」とおどけてみても、当面のアジテーションでしかなく、そのうちに裏返しの革命プロパー主義へと転じることになる。また、スターリン主義についての総括をきちんとしていない旧日本共産党・構造改革グループ、ソ連共産党の影響を受けていた社会主義協会グループは、革マルの真の問題点を見抜く力が無い。同じ構造を持ったまま、良心的に大衆闘争を進め、賢人の政治を行うという姿勢だけである。この良心性が、変革の

総じて、すでに新左翼、旧左翼という区分は過去のものとなりつつあり、日本の左翼戦線の共産主義的、マルクス主義的再生が課題である。

 

二 問題の所在 その2 解放派総括問題の焦点―主意主義的革命主義の発生

@われわれは、戦略=洞察された歴史的必然性、戦術=戦略の意識的実践と規定してきた。(『滝口弘人著作集』「第一巻一一二頁」参照)

特定の自己意識が普遍的装いをもってふりかざす理想的目的が戦略なのではないと繰り返し述べてきた。そして、歴史的になにをすることを余儀なくされているのか?ということ、しかも、労働者階級において、余儀なくされているのか?ということである以上、社会的主体において、その現実的洞察の中からつかみ取られた目的であるならば、目的はその主体と切り離せないものであることを強調してきた。しかし、掲げられた理想でしかないところの、人類の普遍的目的、自由の王国、などなどは、そもそも主体から切り離され独立化されたものであること、したがって、現実の歴史の外側から社会に持ち込まれる種類の理念となってしまっていることを示してきた。そして、その宙に浮いた目的は、その担い手と、さらに手段を求め、担い手は、普遍的理念を手に入れたと舞い上がった自己意識となり、そのエゴイスト達の諸手段はプロレタリアートとされる。とりあえずは、担い手の多数性への拡大が主要目的となり、そのための詭計、方便が使われ、その中には何の真実もなく、ただその背後に教義を奉る形となる。大衆運動の直接的目的と、その背後に隠され目的、さらにその奥に隠された目的をもって大衆運動と革命運動を現在的に統一するというインチキな構造において、自他ともに欺き、自他ともに手段化して、果てしなく堕落してゆく。たとえばわかりやすい例でみるならば、革マルでは、中ソ核実験反対――反帝反スタ――創造的物質最先端、中核では、沖縄奪還――米帝と日帝の対立と危機――蜂起内乱、このようにして隠された目的が用意されて大衆操作の陰謀的スローガンが使われた。大衆スローガンはどれも真剣にそれを実現することが日本プロレタリアートの階級的利害であるのだという性格ではないが、それでよいのだとされた。

旧左翼に変わると称して登場した新左翼の多くは、やはり共産主義、マルクス主義とは程遠い小ブル社会主義の穏和派と急進派としてその限界を露呈してきた。それは、単に戦略論が情勢とかみ合わないという事だけではなかった。組織と理論のありかたそのものが大衆的魅力を欠落していった。

大衆運動の階級的推進の中からの階級形成を戦略的に位置付けてきたわれわれは全共闘、反戦青年委員会運動を推進した。この高揚が、権力の強権的反動によって押しつぶされたことだけが新左翼の後退の原因ではなかった。新左翼自体の問題が極端に露呈していった。革マルの他党解体路線に端を発した暴力的党派闘争――われわれも革マルの攻撃に対して反撃して闘ったのであるが――、繰り返される小ブル急進主義の矛盾の悲劇的露呈(連合赤軍等)は、否応無く青年大衆の熱を冷ましていった。そしてわれわれにおいてもこの状況を大きく突破することはできなかった

Aわれわれ解放派は、マルクス主義に基礎付けられた戦略観、共産主義論をもち、独自の戦略論組織論を構築してきた。しかし、戦後第二の革命期のおよそ十年の過程において、自らの限界を露呈してきた。限界が隠蔽されないということは、それとして大切なことである。なぜなら、たとえ少数の作業であっても労働者本体の実践的活動として意識的に推進してきたわれわれの運動は、不十分性をもちつつもその段階における社会的主体においての歴史的行為としての営みであるという性格をもっているからである。

正しく進んでいないのに正しいかのように装う必要があるのは、大衆欺瞞を必要とする考え方から出てるものである。

 総括過程において、われわれは、主体、より正確には社会的諸主体について考察を深めてきた。そこから再度戦略論へ、という道をつけてきた。その戦略論への媒介として、階級形成論の更なる深化を課題としてきた。

 「革命的階級形成を!」という一点に凝縮される当時の方針は、革命期への突入であるという規定を確認し、その前期における課題を示した物であった。

しかし、すでにこの時点において、革マルとの闘争、権力との闘争の激化の中から、「実践の中からの党」「革命の目的の手段としての己」という俗流理論が生まれてきた。武装闘争を戦う組織は武装闘争の中からしか生み出せないのだとして、情勢から、階級主体の主体的条件からではなく、自己のグループの主体形成の方便として武装闘争を部分的に開始するという考え方、そしてそこには無理があるので、その為には、自己を革命家として信じ、その将来の目的に殉ずる決意を必要とするという考え方、そこから学生共産主義者とか、労働者階級の党ではなくて共産主義者の党とか、階級形成論は大衆運動主義を生み出すとか、方便としての理論、ひ弱な、理屈をこねるような考え方が生まれてきた。主意主義的目的主義と経験主義的党建設論と部分的武装闘争路線によって構成された「新理論」が生まれた。このグループは、理論的装いこそあれ、世俗的理屈を理論とした心情的グループにすぎないものであった。したがって、当時の学生の中のレーニン主義者からも笑われるような物であった。しかし、かれらは、スパイ問題を組織の中枢において展開し、組織を機能麻痺に追い込んだ。そして、それがうまくゆかなくなると、差別問題の政治利用に走った。

Bわれわれは、革命期の直前まで、全国的にも、諸戦線においてもかなりの前進を遂げてきた。われわれは、革命期初期に安定期の階級形成と区別された革命的階級形成という課題を掲げた。

革労協中央部のこの革命的階級形成をという当時の提起は、現在直下に直接的な革命闘争を、しかも狭く捉えられたそれとしての武装闘争を、という小ブル急進主義と、革命期そのものを認めないという形であらわれる現状維持的傾向を突破する課題として打ち出された。しかし、現実の労働戦線が抱えている問題をどれほど解決しうるものであったのか、また、このことに学生戦線が基礎付けられる道を作りえたのかという諸々の問題が残る。

 しかし、問題はもっと深く、解放派の理論的思想的な揺らぎが、頂点に達しているという事態を背景にしていたこと、それは革労協と並ぶ別の政治指導部としての性格を持った社青同全国中央部の形成、その中からの官僚主義的専従指導部の発生、それらが、他党派から移行してきたレーニン主義的思想性が組織活動理論活動において内容的に否定されないまま職業革命家気取りで集まったことによって、問題は一層拡大していた。戦略問題における分岐としてベトナム戦争を新植民地主義であるとか、沖縄奪還であるとか、余りにもひどい理論性に別れを告げて中核派からわれわれに結集した部分に対する解放派としての新たな思想的訓練が十分に行われないばかりか、一部には、レーニン主義の再評価などという姿勢で彼らを迎えるのであるから、思想的混乱は複雑化した。当時の組織の変質は学生戦線のみならず、社青同においても進行していたのである。

そして、特に学生、一部社青同中央専従において、労働者の現実の運動から切り離されて、「革命運動に徹する」というときに、官僚化した自分を維持するために必要な理論的粉飾を求めた。立場主義的な理論であると同時に、われわれの労働者メンバーにたいする一定の絶望を伴っていたのである。それは、程度の差こそあれ、六〇年代半ば頃よりはじまっていた論議の延長にあった。繰り返し、意識性についての強調や、基底還元主義批判、学生共産主義者規定などの形であらわれた。存在と意識についての一面的な把握による諸傾向として、一方での、階級的であるということはとりもなおさず革命的であるということだ、というかたちで労働組合レベルの活動で固定化された現場現実主義と、他方足元を喪失しつつ、観念化した目的主義立場主義としての主観的革命主義となって、乖離が繰り返し再生産され、猶かつ、これを解決し切れずに組織が空洞化していった過程があった。

C同時に、理論面でも混乱が生まれていた。

 特に、学生の一部、社青同の一部は、中原氏の当時の諸論文のある一面、普遍性を現在的に定立する事の必要性を強調する側面を利用して、安易に立場主義、目的主義にして勝手に理解し、元の前衛党主義に労働者性をまぶした程度の小ブル急進主義的前衛主義に転落してなお解放派であると錯覚していった。中原氏は、繰り返し普遍性は個別性・特殊性の総体においてしか生み出されるものではないと注意してはいるのであるが、そして、不断にその定立された普遍性が否定、反省され再定立されるのであると展開されているのであるが、そのことの重要性は理解されないで、階級的否定によって普遍性を定立する言う字面だけが利用された。

またその前段には、基底還元主義という「解放NO.6」批判(三浦論文)が彼らにおいては無批判に受け止められる傾向があった。意識の相対的独自性を強調したこの論文は、レーニン主義の再評価というフレーズのみが引き出され一部もてはやされた。

 この当時、理論を自己正当化の粉飾、都合のよい言い訳としてしか考えないという思想的堕落が発生していたという根本問題があった。貧弱な悟性に着せるきらびやかな衣装としての理論として、または自分自身を活性化させるための、自己を鼓舞し維持するための、利用主義的理論粉飾としてしか自他の理論を考えない風潮が生まれていた。したがって、根底を問う理論活動ではなく、困難局面で自分がぶら下がることのできる都合のよい理論を手に入れることが問題となっていたのである。これは明らかな堕落であり転倒である。このような傾向は、当時の学生指導部の理論的訓練の不十分性からくる思想的な弱さの現れであった。神奈川大学における革マルの襲撃にたいする戦闘の総括過程において学生指導部の脆弱性が表面化していった。このあたりが転換点となっている。

 大衆の自立、階級形成を通しての党建設、行動委員会の中からの党、このような党組織についての考え方そのものが、大衆運動主義を生み出すのだとして、もっぱら指導部の指導性の無さが混乱を生み出した根本原因であることには頬かぶりして、党派闘争においては、解放派の理論がレーニン主義、前衛主義に対して不利なのだという新理論を作り始めたのであった。自分自身に対する無批判な態度であった。宗派主義批判は、大衆運動主義になるから宗派主義批判をやめて反革命打倒とするべきであるとか、宗派批判の内容を、革命的に共産主義的に批判し突破するという姿勢において捉えるべき点をそもそも欠落しておいて、かつ、自分の指導性についての不十分性を棚に上げての所感を「理論」として展開しはじめたのがそもそもの堕落の始まりであった。

 このように理論をエゴイスティック思弁の延長上に掲げるような、質的に低下した学生中央部の発生と、思想的には小ブル急進主義のままでわれわれに結集し、職業革命家になるのだと登場してきた社青同の一部の専従活動家群を中心に、小ブル急進主義、前衛党主義(レーニン主義にもならないレーニン主義もどき)にぶれる部分を生み出してゆくのである。その背景には、やはり労働者の階級形成の遅れについての絶望からその否定へと向った過程があったということ、このことが更なる階級形成へと向わずに、なかなかうまく行かない困難な階級形成ではなく、端緒・成長・発展の階級形成の困難な過程抜きに、決意したそのときに、瞬時に生み出せるところのいきなりの立場主義的革命家の徒党へという方向へと向ってしまったのであった。

 かくして、もはや傾向とか、ブレとかではなく、明確に目的主義的革命主義となった小ブル急進主義の側においては、資本の攻勢の前に苦闘し足踏みする労働者の側を「右派」として打撃対象にまで高めていったのである。それと同時に階級形成論は字面だけ彼らの中に持ち込まれ、内容が階級意識形成論へと作り変えられることになる。

そのあげくには、階級意識ではなく革命についての意識、革命意識形成論に作りかえられていった。階級意識では限界であって、革命意識で無ければならないという訳である。労働者階級にとっては、階級闘争と別のところに革命があるのではない。階級性そのものが革命を内包しているのであって、それと別に革命性があるのではないということが忘れ去られていった。そしてこの革命意識は革命闘争の実践においてのみ作り出されるのだとして、権力闘争の中からの革命の立場の実践的獲得という具合である。そこから転倒が始まる。主体形成主義的に、権力闘争が位置付けられる。そうなると、情勢から導き出される方針ではなく、組織つくりのために「蜂起」や「内乱」が叫ばれる。このようにして、階級闘争とは別の、安定期でも激動期でも、情勢と無関係な革命闘争そのものなるものが作り出されていった。

 あらゆる事が、方策であり、方便であり、利用であり、諸手段でであり、言い訳であり、これがおたがいにからみあって「理論」とされる。彼らの「理論」の内実はこのようにして出来上がっている。外から見ると奇妙であるが、彼らの中では頭と尻尾がぐるぐるとつながって、目的が手段となり、それが次の目的となり、また結果があらたに手段化されるのである。このような組織性格は、スパイ問題の利用、内部糾弾の政治利用を通して彼らの中に蝕むように浸透していったのである。

 そして、挙句の果てには観念化した目的主義、目的の担い手としての立場主義、目的のための諸手段という思考は、「唯一の正しい立場」の防衛として、分裂する相手を、敵対する他者の抹殺という方向で攻撃することを必然としていた。これも自分達ではどうにもならない必然的顛末として突き動かされていったのであった。

 このように、解放派の切り開いてきた理論活動から逸脱し、レーニン主義ともはるかに異なる世俗的理屈でしかないような珍理論が生み出されてきた。周りの他の党派から見て、彼らの理論が分かりにくいのは以上のような独特の理論性格があるからである。

Dこのように彼らが誤った過程と結果は、すでに明らかなのであるが、しかし、残念ながらこの七〇年初期に打ち出された革命的階級形成の課題は、組織において実際には足元の弱化に悩まされながら空すべりした。この総括が重要である。確かに、オイルショック以降、官公労はもとより、民間企業において合理化攻撃は苛烈を極め、職場の闘争は押さえ込まれていった。職場闘争をおろそかにしての政治主義ではないかという意見が当時出ていた。さらには、全逓戦線においては行動委員会運動そのものにたいする疑問さえ出されていった。そして、職場においていかなる路線において戦いと組織を展開してゆくべきなのかという課題は、革労協、社青同ではなく、全国反安保労研にゆだねられていった。そして現場からの、組織の単位組織からの意見は中央に集まらなくなってゆく。その対極に政治組織中央は、政治性の強調を行えば行うほど、全般的に政治主義的傾向となって足元を取り崩していったのであった。

 70年代に入り、われわれはこれまでの安定期から区別されて動揺期すなわち政治的社会的秩序の動揺期として捉え、したがって、革命期ととらえた。このことから戦略的にはこれまでの階級支配のもとにおける階級闘争の段階から階級支配の打倒へと向う階級闘争の段階へと、したがって、革命的階級形成が急務である段階であると規定した。一部には、革命期の捕らえ方に混乱があった。階級闘争と革命は別の物という考えからである。階級闘争から革命への転化、これは現象的には正しい。しかし、本質的には階級闘争の発展段階として革命があるあるのであって、階級闘争と別に革命があるわけではない。それがブロレタリア革命の政治的経済的解放の性格である。階級形成論は字ヅラだけ彼らの中に持ち込まれ、内容が階級意識形成論へと作り変えられることになる。そのあげくには、階級意識ではなく革命についての意識、革命意識形成論に作りかえられていった。階級意識では限界であって、革命意識で無ければならないという訳である。階級性そのものが革命を内包しているのであって、それと別に革命性があるのではないということが忘れ去られていった。小ブル急進主義には、別の物、したがって、階級的ではなく革命的、階級目的ではなく革命目的、階級闘争ではなく革命闘争、というわけである。したがって、革命期である以上、革命闘争を始めなければならないはずだと、だらだらと長い革命闘争そのものを始めるということになる。したがって、階級形成など言っている時代ではなく、革命家の組織を作らねばならない。そこで、主意主義的目的主義による決意と、経験主義的活動家形成のための革命的実践が「実践の中からの党」と主体形成主義的に位置付けられることになる。すべてのことを方便とする考え方によって生じたあきらかな転倒である。

かくして、もはや傾向とか、ブレとかではなく、明確に目的主義的革命主義となった小ブル急進主義の側においては、あらゆる事が、方策であり、方便であり、利用であり、諸手段でであり、言い訳であり、これがおたがいにからみあって「理論」とされる。彼らの「理論」の内実はこのようにして出来上がっている。外から見ると奇妙であるが、彼らの中では頭と尻尾がぐるぐるとつながって、目的が手段となり、それが次の目的となり、また手段化されるのである。このような組織性格・理論性格は、スパイ問題の利用、内部糾弾の利用を通して一層彼らの中に蝕むように浸透していったのである。

 そして、挙句の果てには観念化した目的主義、目的の担い手としての立場主義、目的のための諸手段という思考は、「唯一の正しい立場」の防衛として、分裂する相手を、敵対する他者の抹殺という方向で攻撃することを必然としていた。これも自分達ではどうにもならない必然的顛末として突き動かされていったのであった。

このように彼らが誤った過程と結果は、すでに明らかなのであるが、しかし、残念ながらこの七〇年初期に打ち出された革命的階級形成の課題は、組織において実際には足元の弱化に悩まされながら空すべりした。この総括が重要である。確かに、オイルショック以降、官公労はもとより、民間企業において合理化攻撃は苛烈を極め、職場の闘争は押さえ込まれていった。職場闘争をおろそかにしての政治主義ではないかという意見が当時出ていた。さらには、全逓戦線においては行動委員会運動そのものにたいする疑問さえ出されていった。そして、職場においていかなる路線において戦いと組織を展開してゆくべきなのかという課題は、革労協、社青同ではなく、全国反安保労研にゆだねられていった。そして現場からの、組織の単位組織からの意見は中央に集まらなくなってゆく。その対極に政治組織中央は、政治性の強調を行えば行うほど、全般的に政治主義的傾向となって足元を取り崩していったのであった。

革命的階級形成ということを中心に、諸論争は統一されたかに見えた裏側には上記のごとき小ブル急進主義の変質の進行があった。この側から見るならば、当時の労働者の闘いは「革命に参加していない」右翼日和見主義であるとされ、中央部は制動、制約として映った。打撃主義的な諸方策が考案された。そこからスパイ問題(当初は個人の逆恨みからスパイでっち上げが行われようとしていたのであるが、これに飛びついての政治利用であった)の利用、更にこの同じグループによる差別問題の利用がはじまったのである。

 戦後第二の革命期は、浅い物として80年前後に終焉した。その後も彼らが内乱を叫んでいるのは、単に情勢分析する力がないのではない。主意主義的目的主義の、経験主義的主体形成主義的展開のためにそのような方針が必要となるからである。「階級目的と別の革命目的」なる階級からの乖離、階級形成の否定、労働者階級の本源的主体性の否定、これこそが小ブル急進主義の指標である。

 

三 総括の核心――団結する人間としての生ける労働者の本源的主体性

@したがって、総括は、問題解決のために打ち出された革命的階級形成という課題を更に掘り下げる必要があるばかりか、70年代の初期の解放派の思想的理論的揺らぎにまで遡る必要がある。さらには、われわれの根本にまで掘り下げる作業が必要となる。またそのように作業を進めてきた。

 概括した一連の過程において、解放派の思想性は、この根本的な揺らぎの中で、いったい何に反照されるべきなのかという根本問題を突きつけられたのである。たしかに一部の、解放派の思想と原則ついての不理解というふうに説明できるところもあるのであるが、同時に、当時において、何に照されるべきなのかという点が開明的であったとは言えない。それは、「解放NO.6」を、共通の思想的原点とするという場合に、その文章の性格からくる必然的な制限性、限界を考慮したうえで、その中に含まれる必然性についての認識を原則的に掴むという一作業を必要としていたということ、このことが個々のメンバーに任されるとすると、当然にも不理解、字面追いが発生するのは論を待たない。そして、実際に、「NO.6」限界説が、さらに誤謬説が出てくるにおいて、その中に含まれる原則的思想性が一掃されるという傾向が生まれたのであった。それはあたかも素人が、宝石の原石をそこらの石ころと同じように思って捨ててしまうに似ている。

 このようにして自分の考え方、理論、思想性を、何において照らし出されて反省し、自己検証し、その正しさおよび限界を確信するのかという党派としての普遍的鏡を見失ったまま、エゴイズムの道へと誤っていった部分を多く生み出したのではないだろうか。こうなれば、自我と悟性の延長上に理論をたて、その多数性への拡大を志向するという理論活動のスタイルとなるのは時間の問題となる。

 この点について、「NO.6」の著者である滝口氏は、「何に反照するのか?」という問題をたてていた。彼のこの問題の立て方そのものが根底に返しての問題解明というしっかりとした姿勢を示している。しかし、残念ながらその内容を明らかにするのは相当時間がたっていた。

「「『解放NO.6』は、歴史的運動そのもの下向として開示されたプロレタリア職場抵抗――そこにおける生ける労働者の人間としての社会的結合――その光に反照された自覚なのだ。かかるものとして、いける労働者階級の部分としての自己自身の激情的自覚だ。」(滝口著作集第三巻 三四九頁)これは、1982〜4年頃の文章である。

さらに、同時期、「現在、何に反省するのか、照り返されるのかというふうにして、あらゆる組織論と運動論と人生論の根底を、何としてつかむのかということとしても、これだと思っています。」として、マルクスの経済学哲学草稿の「共産主義的な職工たちが団結するとき」から始まり「社会的結合、団結、また社会的結合を目的とする楽しい懇談が、彼らには十分ある。人間の兄弟のような愛は彼らにあっては空文句ではなく、真実であり、そして人間性の気高さが労働によって頑丈になった人々のうちから、われわれに向って光をはなっている。」で終わる一文をあげている。(滝口著作集第三巻 三三九頁)

「この箇所の叙述は『シュレージェンの職工のストライキ』以前であり、単に異質なもののブル・小ブルへの衝撃なのではなく、『社会的結合の欲求』に立ち上がる(階級形成=団結する)人間としての生ける労働者の本源的的主体性(『生ける人格性すなわち肉体性』『資本論』)が反照するのである。

 工場制度の専制支配のもとで働く生ける賃金労働者の人間としての社会的結合の闘いこそが光となって、人々、労働者自身を照らすのだ!」滝口著作集第三巻 三四七頁)

 彼は、いわゆる「NO.6」(一九六二年)においても、そして一九八四年当時においても思想の根底として、この労働者の社会的結合への闘いを挙げている。たしかにわれわれが思想性の根底として何を鏡とするのかということとして、この点を共有していたのかと問を立てると大きな疑問が残る。当時は安保と三池の戦いの教訓の中からわれわれは生まれた、と理解されてきた。しかし、特に学生戦線において、三池闘争の内容は、共有されていな買ったと言える。したがって、組織成立のこの根底は、本当は前提とはされていなかったのだと反省される。したがって、総括は、革命期における革命的階級形成という課題をめぐると同時にこの根底に不断に返されねばならないと考える。

Aプロレタリアートは歴史的必然において如何なる事を余儀なくされているのかという必然性の認識から出発し、実践的方向を解明する必要がある。それが戦略論である。この戦略論に対して、組織論を媒介するものとして階級形成論がある。すなわち、歴史的必然性に対して、労働者大衆が、主体が如何に自らを発展させてゆくのかという過程とその結果をもって、組織論へとつながるのである。同時に、階級形成は、戦略の内容でもある。安定期、動揺期における階級形成と、革命期における階級形成と、形成された階級による決定的変革、この各段階を戦略それ自身が含んでいる。したがって、如何なるものとして階級形成論をつかむのかということは、戦略論、組織論を決定するのである。

 階級形成論は、現社会の中から出発し、その現実的否定として、新たな社会的諸主体が生み出され結合し戦いを通して発展する全過程そのものである。結合の発展の経過である以上、時間的であると同時に、空間的な重層構造をもつ。

 また、階級形成論の原理論は、方法的には経済(学)と歴史(学)の媒介的統一において解明される理論的位置を持つ。

 原理論の骨格は結論から要約して言うならば、次のようになる。

(1)本源的な生産と社会と所有の統一。(2)社会が前提となり生産が措定される。その生産が更に前提となって、社会が変化し生産が措定される。(3)これが、歴史的に生産と社会の変化を通して転変する。特定の生産様式とその社会の矛盾、その肯定的保守的側面、否定的革命的側面は、その生産の内部、社会の内部に存在する。 (4)資本主義社会は、前史の諸前提の上に自らを築くと同時に、自ら自身の前提を作り出す社会である。すなわち、資本と賃労働を両極ながら再生産してゆく社会である。(5)そして、その果てが如何なるものとして掴まれるのかということ、その否定がいかなるものとして掴まれるのかということとして、社会的諸主体が浮かび上がる。(6)その普遍的意味と展開過程。

 なぜ、本源的な態様から出発するのか。それは、人間の本源的な主体性とは何かという根本問題を含んでの新たなる歴史的社会的諸主体の把握でなければならないからである。勝手に思い描いた人間像があまりにも多すぎる。現実の、歴史的に生きてきた人間達の現在と未来が提示される必要がある。その多くが、やはり自己意識=人間として、肉体はその器、手段とされ、問題は精神性、意識、理論の内容だけであるとする考え方が多いい。生産し、社会的つながりをつくり、新たな欲求を生み出す、生ける人格性としての主体性の本源的把握に根ざした社会的諸主体について明らかにする必要がある。

Bわれわれは、この生産と社会の相互規定的な前提作用と措定作用の内部にある現実的亀裂から出発する。この亀裂の中から生み出される新たなる社会的主体を問題にする。現実の労働者の歴史的社会的主体性をつかむことこそ、そこから発する自覚的理論活動としてのマルクス主義としての理論活動であること、理論活動の社会的性格に自覚が大切である。この点を欠落した諸理論は、労働者階級にたいして外的なエゴイストの理屈にしかならない。

ヘーゲルは、否定性の哲学として論理学を展開した。彼の普遍性は、その前提として多数性を上げる。多数性の全体が基礎にある。個別・特殊は普遍に高められるが、同時にそれは普遍を措定すると同時に、その普遍は己の欠陥不十分性を反省し、前提に反省する。そしてさらにより豊かな普遍として措定される。さらにそれは否定される。この円環的反省(否定)と再措定の螺旋的発展が弁証法的発展の論理である。マルクスはこの否定性のなかに、神秘的主体の否定をつうじつつ歴史の弁証法をつかんでいる。ある歴史的諸前提とそのもとにおける人間の活動――生産と社会――の発展とその桎梏性の増大と否定、この新たな前提のもとにおける再発展の中に弁証法を展開している。主体は社会的主体である。この社会的主体の歴史的把握こそが重要である。

「経済学批判要綱」の「第3章「資本にかんする章」においてマルクスは、「社会的生産過程の最終結果として社会そのものが、すなわち社会的に関係しあっている人間自身があらわれてくる。」と述べている。これは生産と社会の関係、経済と歴史の関係がクロスする一瞬であると同時に、本源的社会から歴史的に展開された帰結としての位置を持つ。われわれは、この点に立ち返って、階級形成論の原理論を再構築する道につくことにする。

 この原理論的深化の作業は、なぜ社会的諸主体の階級形成として展開するべきなのか、なぜそれが、戦略論と組織論を媒介することになるのか、なぜ「結合された目」としての認識活動と理論活動が必要なのか、なぜ労働者党と共産主義者の組織を分離し、区別と同一性において展開するべきなのか、また、精神性と肉体性を持ったところの人格性としての社会的諸主体の結合のもつ人間的意味についても明らかにする指針を提示することができるであろう。同時に、人間を自己意識の入れ物としか理解しないエゴイスト達の様々な観念的誤りについても照らし出すことになるであろう。(以下、下に続く)